大阪家庭裁判所 昭和43年(家)1294号 審判 1968年8月14日
申立人 浜野正夫(仮名) 昭三五・二・二四生
外二名
右申立人法定代理人親権者父 吉松正介(仮名)
主文
本件申立を却下する。
理由
(申立の要旨)
申立人らは「申立人の氏浜野を父の氏吉松と変更することを許可する」との審判を求め、その事由として、
申立人らは、父吉松正介と母浜野キクヨとの間の婚外子として正夫は昭和三五年二月四日、雄一は昭和三六年五月二三日、朝子は昭和四二年七月九日に出生したもので、それぞれ昭和四一年六月一六日、昭和四三年一月三一日父正介より各認知を受け昭和四三年一月三一日父母との間に申立人らの親権者を父正介とすることの合意ができ、申立人らは父の親権に服しているものであるが、親権者たる父の氏を称したいので、本件申立におよぶ。というにある。
(当裁判所の判断)
(1) 本件調査の結果によれば、次の事実が認められる。
1 申立人らの父吉松正介は昭和二七年一一月二〇日秋山フミと婚姻届出をなした夫婦で、その間に長男年男が昭和二七年一二月八日出生した。
2 ところで、昭和二九年三月頃、父正介は七歳も年上の妻フミとの夫婦生活に嫌きがさし、母子を放擲して、大阪方面に出奔し、本件が提起されるまで、手紙一本だすこともなく又母子の生活をかえりみず、本妻フミが長男年男を生活との苦闘のうちに養育し、ようやく現在高等学校一年生になつたこと。
3 父正介は昭和三三年申立人らの母浜野キクヨと知合い同棲し申立人ら主張の如く、同女との間に申立人らをもうけ、それぞれ認知し、親権者となつており、申立人らは、父正介、母キクヨの間に養育され健全に成長して来たこと。
4 父正介の本妻フミは、本件申立に対し父正介に対する憎悪と長男年男の高校卒業後の就職等について不利になることを恐れ又長男年男も従前の経過から、父正介に対し捨てられた子としての反感と、それに加えて、せめてもの戸籍上の安全と平和すらおびやかされることについて心の悲しみを持つていることより、本件の子の氏の変更について、同意できない旨主張していること。
5 他方申立人らの家庭も母キクヨの先夫との間にできた長女春江がおり、申立人らが父の氏吉松を事実上使用して、幼稚園、小学校に通園通学して来たことから生ずる「浜野」と「吉松」との混乱があること。
6 父正介と本妻フミとの間に離婚の話しなどは従前一回もでていないこと。
(2) 以上認定した事情より本件を考えると、本妻フミが心配する長男年男の就職に関しては、戸籍上既に認知の記載があるから、年男の戸籍をみて非嫡出子の異母兄弟(それも三人)がいることが判り、年男の両親が健全な夫婦関係にないことが一応推察されるのであるから、申立人らが入籍することはそれほど決定的な影響を与えるとは考えられないが、本妻と長男が本件申立について感情的に同意できないとすることは、主として正介の行為により婚姻関係が破綻させられ、一〇数年に亘り完全に放擲された上、なお婚外子である申立人らを自己夫婦の戸籍に入籍させられることは正に俗にいう踏んだり蹴つたりに近く、これを拒否する心情は理解できるし、即ち、正介は動機はともかくとして本妻フミと長男年男を一〇数年間も放置し、何ら夫として、また親としての責務を果たさなかつたにも拘らず、たつた一つ最後に残された戸籍上のみの平和な夫婦・親子としての形さえも、申立人らの入籍により破壊されると感じることはもつともである。しかしながら、申立人らの入籍によつて、放置された母子の現実生活面および法律関係には、いま以上になんらの不利益をおよぼすものではないし、正介が母子に対して負担する重い責任があることは当然としても、この点について、申立人らにはなんらの責任はなく、さらに出生以来意識しないで吉松姓を使用して来た申立人らの立場も、本妻らの感情的利益もさることながら、当面する双方の窮状を避ける方途の考慮が優先すべきである。
ところで、申立人らは未だ小学校三年、小学校一年と幼児で、未だ小学義務教育中で、更に中学校の義務教育があり、小学校時代に直接社会生活上に連がる問題が生ずることはあまりなく、加えて、家庭内の混乱も、身動きのとれない状態に立ち至つているとは考えられず、むしろ、ここ数年の内に学業生活を終えて社会生活に出る長男年男の戸籍上の安全の利益と、妻や嫡出子の感情上の利益の立場(長男年男が就職でもしたならば格別)を重くみる必要があると考えるを相当とする。
よつて子の氏の変更については、これを不相当と認め、主文のとおり審判する。
(家事審判官 山中紀行)